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なぎさの飼育員日記

瀬戸内海にある島の日本一?小さい水族館の飼育員日記

採集シーズンがやってきた!

新年度スタート。
私も無事なぎさに再雇用してもらいました。
悪いことしない限り1年間は働ける予定です。
そして桜も咲き、黄砂も沢山飛んで春っぽくなってきました。
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潮が大きくなり満潮、干潮で採集に行く季節です。
午前の満潮はクラゲや流れ藻に隠れる生き物採集へ。
午後の干潮はタイドプールや砂浜にいるハゼやウミウシ、ヒトデなどの採集へ。
とっても忙しい季節です。

そんな日は採集に行きたいのに水槽も磨かないといけないので開館作業をダッシュで終わらし最低限の水槽を磨いて急いで海へ行きます。
通常の3倍速くらいで行動します。
この前の夜間採集でも結構とれたので潮が大きい貴重なチャンスを逃せられません。
採集場所までは途中、工事により回り道をしなくてはならないので通常より移動時間かかります。
それでもクラゲ系を求めて沖家室へ。
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ん???
なにもいないぞ??
え?ほんとに?
遠回りしてまでもきたのに?

5ミリくらいのイトマキコモチクラゲ3個体だけでした。
涙が出そうなくらい悲しかったです。
しかもバケツの蓋が1つ割れました。

生き物との出会いはほんの少しのタイミングで全く違います。
思い通りにはいきません。
しょんぼりしながら水族館に戻りましたが切り替えて午後には磯採集があります。
それまでにみんなのお食事や閉館作業、別の水槽磨き、書類、メール返信を今度は2倍速くらいでやります。

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約半年ぶりの磯採集は毎回見る生き物との出会いや初めて出会う生き物がいるかもしれない、という期待感などであっという間に時間が過ぎていきます。
写真を撮り忘れましたが今年初磯採集はヒトデが多かったです。
彼らにはこれからタッチで最強メンバーとして頑張ってもらいます。
あとアメフラシも出てきました。
磯に打ちひしがれてました。


ちなみに採集中、休みのはずのUさんが元気の塊と共に現れました。
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短い脚を得意げに伸ばして磯の生き物を探していました。
そして私が探していた生き物はみんな逃げていきました。

これから大潮のシーズンは毎回こんな日になると思います。
クラゲも出現種類数が多くなってきました。

体力的には大変ですが一日のやりがいと水族館の生き物が充実する大潮です。


この前の休みは珍しく私が陸奥子を車に乗せて少し離れた場所で散歩しました。
道の駅に用事があったのでそのあと道の駅裏で私の磯採集スポットでもある真宮島へ行きました。
大興奮の陸奥子はさっそく海に入ろうとします。
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「入ってもいい?」てな感じで私を見つめます。
しかしマイカーが塩だらけになるのが嫌なので私は却下しました。

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彼女なりに一生懸命我慢しているのだと思います。

海面ギリギリまで行きたたずむ陸奥子さん
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しばらくしてわざとらしく「濡れちゃったみたい」
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てな感じでこっそり海に浸かって行きました。

結局それから寒くて体が震えているのに1時間くらいずっと遊んでいました。
彼女はすごく楽しかっただろうけど足元が滑りやすかったり岩場の多い所を歩く私からすると早く帰りたかったです。
一応暇ながらもミミズハゼを見つけました。
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楽しんでくれたようでよかったです。
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また時間があったら行こうね。

※最近陸奥子ファンが多いのでしつこいくらいに載せてみました。

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知らないことを学ぶ

最近の休日はどこに行くわけでもないので陸奥子と山へ散歩に行ってます。


去年の秋頃からイノシシ出没頻度が上がり一時中断してましたが最近落ちついてきたのでまた再開しました。

ただ、朝と夕方両方を山コースにしたら早速膝が痛くなりました。
うまれてからスクスク成長し現在最高体重に到達しそのまま定着している私の体を2個の膝で支えるには無理があったようです。
まさか自分がベージュのシップを貼る時が来るなんて思ってもいませんでした。

本題。
この前の休日は散歩は短縮し、久しぶりに勉強してきました。
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いつもお世話になっている岩国のミクロ生物館さん主催のサイエンスセミナーに参加させてもらいました。
2日間あってUさんと1日ずつお邪魔させていただきました。

私は1日目の方に参加させてもらいました。
午前が「電子顕微鏡でミクロの世界を探検しよう」についてリモートで。
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午後は川底の生き物とD N Aについて。
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正直私は電子顕微鏡の映像って立体的でかっこいいとは思いますが、そもそもが白黒で立体構造について興味がないのであまりワクワク感はありませんでした。

でもですよ、勉強の集中力は数分が限界の私が90分間の授業があっという間に感じるくらい惹き込まれちゃいました。
今までは電子顕微鏡で写り出されたものだけを写真として見ていたのが今回の授業では、存在するのに小さすぎて目には見えない生き物などをビフォアアフターで観察し、とてもイメージが湧いてワクワクしました。

例えば花粉。
黄色く見えることもあるけど花粉そのものの形や種類によってみんな違うのなんて、へーへーへーもんでした。

水族館にいると実体顕微鏡や対物顕微鏡はよく使います。
でもあれは光をあてて映し出すので対象物によっては黒い影のようになって本来の形が分かりません。
大きさにも限界があります。

実体顕微鏡などでは見えないヤツらを電子顕微鏡の装置に入れたら、あらビックリ。
視界全体に見えちゃいます。

今までスルーしていた世界が開けた感じがしました。

午後の川底の話については私が土曜日か日曜日どちらを参加しようか考えたときにきっかけになた項目でした。
本来なら学生時代水生昆虫について研究してきたUさんが優先されるかもしれませんが、私だって以前川で捕まえてきたことがあります。
Uさんが土曜と日曜どっちが行きたいか聞いてきた時、空気も読まずに私を優先させていただきました。

でも実は思ったより他の参加者である小学生の方が全然分かっていて発表していて不甲斐ない結果になりました。
この講義で私が知っていた単語は「マイマイカブリ」と「コオイムシ」「コオニヤンマ」だけ。

マイマイカブリのマイマイはカタツムリのマイマイということからきています。
飛びそうな見た目ですが飛ぶことが出来ず道路を横断している所に出会ったことがあります。
私もあいまいなので詳しくはネットで調べてみてください。

コオイムシは学生時代イモリ探しに田んぼに行った際知った生き物です。
私はタガメかと思ったらコオイムシでした。
背中に子(卵)を 背負うからコオイムシ。
タガメの方が全然レアです。
カメムシの仲間になります。

コオニヤンマは自分でも何で知っているか一瞬分かりませんでした。
授業を聞いていて途中に出てきたヤゴの姿で思い出しました。
以前イベント用で水生昆虫を採集した際出会いました。
普通のヤゴのイメージとは違った姿のヤゴでUさんに教えてもらいました。

以上、私が知っていてその時だけ鼻の穴が広がった瞬間でした。
そこ以外は周りの少年たちに必死についていく30オーバーの私でした。

そして最後の授業はDNAについて&コオモリについて。
DNAって私がこの世で最も理解できない世界です。
カタカナと漢字とローマ字全てが当たり前のように並んでいて見ただけで白目になります。
が、今回の授業では実験をしながら学びました。

オレンジジュースからDNA。
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バナナのDNA.
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このお箸にくっついてきたやつ。

これっ!
うそっ!
こんな簡単に!?

小学生や中学生が多い中、中年の私も大興奮でした。


長々と書かせていただきましたが1日(9:30~16:30)みっちりお勉強して全てとても楽しかったです。
知らない世界を学んで収穫がすごく多くてみんなに伝えたかったのにうまくまとめられませんでした。

とは言え勉強になりました。
ちなみに午後の部は広島の学生が先生です。
私もほんのたまに授業をさせてもらいますが、そもそもが人前で話すことも苦手だし教える、伝えることも苦手なので、普通に話せていて本当にうらやましいし尊敬しました。

私は一応卒論でクラゲの事を課題といて以来、クラゲが専門です、てきなことをホラ吹いてますが実際はクラゲ界だと卵にもならない受精卵くらいです。
特別何か専門的な知識があるわけではないのですが、そんな中新しい世界の知識が入るのはとても刺激的でした。
また1つ賢くなっちゃった気がします。

ピコン。




※実は今日で水族館近くの保育園と小学校が閉園、閉校になりました。
小学校とは毎年横浜の小学校に生き物を送るのを手伝ってもらったり、遠足で来てもらったり、保育園は門松を一緒に作らせてもらったり、過去にはクリスマス会でUさんがサンタになったり、それだけでなくかれこれ沢山お世話になってきました。
また、保育園、小学校のちびっ子たちのお母さん達には水族館の受付スタッフ、私の習い事でもお世話になりました。
自分の子じゃないけど小学生みんな私は知っているし何なら家族の顔も分かります。

気づけはみんな止まることなく成長し中学生になり職場体験で来てくれたり、そして以前(現在は運営が周防大島町のため学生のアルバイトはやってません)は高校生や大学生になって実際にアルバイトで手伝ってもらったり。

なぎさにきて体操服のズボンをお腹の上まであげて履いていた子が、気付いたら髪の毛染めて敬語で話して来た時は私もそりゃ歳を取るな、と思いました。
さらに旧東和町唯一の中学校も島内で統合し今日で最後です。
私は出身校でもないし小さい頃からこの島に住んでいたわけでもないのですがやはり寂しい気持ちになります。
小学校の全校生徒は7人。
まさか自分がこの田舎の現実を目の当たりにするとは思いませんでした。

水族館としてもいろいろお世話になってきたけど私としてもみんなにはお世話になってます。
学校と保育園がなくなるだけで彼らはいなくなるわけではないのでこれからも会う機会がなくなる、ってことではないからまあよいのかもしれませんが。

これからもたまに水族館に顔出してもらったり道で出会ったら手を振るくらいの相手をしてもらいたいです。


アクティブな陸奥子と違って引きこもりの猫2匹。
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配管メンテナンス

この前久しぶりに祖母に電話をしました。
御年94才?
祖父は私が産まれる前(正確には姉2号が産まれる直前)に亡くなっているのでそれからずっと1人で暮らしています。
関東に住んでいて例年なら半年か一年に一回は会いに行ってましたがこのご時世のためもう一年以上会ってません。
高齢なのでなるべく会える時に会いたいのですがそうさせてくれません。
なので2021年になってなんと2回電話をし、その2回目の電話を先日しました。
普段私は親ですら3か月に一回くらいしか電話しないのですが、(親からかかってくることはまずありません)
祖母には一年以上前から残っている履歴にもなかったくらい日頃電話しません。

そしたら「盛岡(我が実家)にも帰らずそこ(島)にずっといて何してるの?忙しいの?」みたいなことを聞かれました。
確かに。
神奈川の都会と言っても小田原ですがシティに住んでいる人からしたら島の水族館で働く飼育員の仕事なんて全く知らないと思います。

本題。
ということもあり久しぶりに水族館の出来事を書こうと思います。

最近水族館で使用している海水がとっても少なくなってました。
定期的に訪れるポンプからの配管に貝が発生したんだと思います。
この前ようやくUさんと二人出勤になったのでついに原因を突き詰めるため配管を外しました。
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中を覗いたら目の前にイガイとフジツボがビッチリ。
水を入れたり塩ビパイプでつついたり地道に掃除。

それにしても手ごわい相手でカーブの部分などはなかなか取れません。
すでに数時間戦いましたがついに最終手段になりました。
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配管をぶった切る作戦です。

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凄い便秘の人が見たら羨ましくなるくらい一気にでました。
スッキリ。
切った部分は新たに固定し元の位置に戻してようやく完了しました。
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簡単に書きましたが実際は10時前に始めたのに完全終了は15時過ぎてました。
(切った部分をボンドで接着し乾燥させる時間も含んでます)
二人で金具を外すのに「3・2・1…フン!!!」
と、掛け声を盛大にあげ、全身の力を一点に集中させめちゃくちゃ頑張りました。

無事館内の海水が復活した時はこれまた感動します。
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(最初は濁った海水が大量に出てきます。)

この前はあまりにも海水が弱くて水槽の掃除をしたら全然溜まってくれませんでした。
陸奥子が一時間散歩した後にチョロチョロと出すおしっこくらいの量しかでないんです。
犬を飼っている方にはイメージが出来たでしょうか。
しかもその日の夕方はUさんが不在のため陸奥子の散歩を任されていたので、結局一度家に帰り彼女を車に乗せて水族館に向かい海水がたまるまで周辺を散歩しました。

もうそんなやっかいなことは当分ないはず。


祖母にとっては島で私が働いることは知っているけど実際何しているかは知らないと思います。
とはいえ祖母の父で私の曽祖父にあたる人は船乗りだったので私が海の仕事に就くこにとても喜んでくれてます。
否定的なことでなく純粋に何しているのか知りたいというか興味があるというか私が話したことは毎回楽しんでくれます。
それは祖母に限りらないと思います。
ここを読んでくれている方もきっと同じ気持ちをもってくれてると思います。

なのでちょいと私の仕事について書かせてもらいました。
毎日の作業ではないですがたまにこんなこともやってます。



陸奥子のシャンプーをする際、彼女をうちに運びます。
我が家のひきこもり主は外部からの侵入を一切許しません。
たとえ私がOKした相手でもです。
さらに私にまでキバを向き容赦なく飛び掛かってきます。
なのでシャンプーのため彼女をうちに連れてくるとき&シャンプー最中はいりこさんにはお出かけ用バックの中で待機してもらいます。
世の猫は苦手な子もいるようですがうちの主はバックを持っていくと自分から入ってくれてそのまま中で寝ています。
シャンプーが終わりいりこにお礼を言ってバックを開けるといりこの物は自分の物精神のホタコが興味津々で現れます。
そして狭いバックの中に一緒に入ろうとします。

一通りバックで遊んだり暴れたりしてしばらくしたらお互いくっついて寝てました。
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まるでどっかのカップルみたいですが
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去勢済の中年センター分けおじさんと神様が残りインクをぶち撒いたかのようなガチャガチャ模様の三毛猫女子です。

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初出勤の日

そういえば昨日の3月15日は私が初めてなぎさに出勤した記念すべき日でした。
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今から遡ることすでに10年以上前の3月11日、大学の卒業式を終え、謝恩会などに参加後最後は先生の家で研究室のみんな&OBの方と集まっていました。
そんな中まるでシンデレラのように日付が変わると同時に私はアパートに帰宅しました。
すでに数日前に荷物は出発済みで卒業式当日の朝までやっていた卒論に使用していたマイパソコンと布団と車で運ぶ用のノーマルタイヤ(その頃はスタットレス使用)、あとイモリ2匹だけを残し私はひもじい生活をしていました。
卒業式を終え、次の日の早朝には仙台から名古屋行きのフェリーに乗るためアパートを出発しました。
ちなみにフローリングに敷いていた絨毯はそのまま外に出してワカメバイトでお世話になった漁師さんが回収し処分してくれました。
ありがとうございます。
12日の朝、一度大学によって前夜先生の家から解散後そのまま大学に泊まっていた一部の同期と先輩に挨拶をし見送ってもらった記憶があります。
ちなみにその同期は毎度クラゲ博士としてお世話になっている人物と、先輩は今では一緒に働いているUさんです。

不思議なもんですね。

そして大学から仙台のフェリー乗り場に向かいました。
ちなみに本当は岩手にいる母と水沢駅という所で合流する予定でした。
当時高速なんて自動車学校に通っていた時に一度のみの経験でましてや田舎しか運転してなかったので、実家の最寄り新幹線が通過する場所&私が車で行ける所まで、といった結果水沢駅で合流するはずでした。
盛岡から新幹線で来る母と三陸から車で行く私で落ち合いそこから交代で仙台に行くつもりでした。

しかしそっからすでにトラブルが発生しました。
なんと母から「下向いてたら新幹線が行っちゃった」と連絡が来ました。
ちゃんと駅のホームで待ってたのに新幹線が来たのが気づかなかったらしいです。
ウソやろ!と思いつつ仕方ないので水沢駅に経由せずそのまま仙台へ向かいました。 
初めての高速でとても緊張しましたが無事生きてました。
途中仙台駅で母とも合流し無事フェリー乗り場に着きました。そこでも予定外の目的地になったので到着時間が変わってしまいかなりギリギリでフェリー乗り場に到着しました。

そこからは22時間船の旅なのでようやくゆっくりできました。

次の日の13日、ついに名古屋から大島へ向かいます。
これはほぼ母が運転してくれました。
とは言え大島に着いた時はすでに真っ暗でした。その日はまだ新居には行けず島の旅館へ一泊しました。
島入ってからあまりにも遠いので島の広さを実感しました。
今は慣れてしまいましたが、たまにお客さんからもなぎさに来ようと思っていたけどなかなか辿り着かない、と電話があります。まさか水族館がそこまで端っこだとは思わないんでしょうね。
過去の記憶がまだあるからその気持ちは私も理解出来ます。

話は戻って13日の夜無事宿に辿り着きました。
そして14日。
この日は私の新居へ行き数日前先に引っ越して行った我が荷物が届く日です。
私もですが荷物も岩手からはるばる島に来てくれました。荷物を運び終えたらその日のうちに母は帰りました。今思えば車もないのにどうやって駅まで行ったんだろう。。

そしてついに15日。
私が初めての社会人。初めてなぎさに出勤した日です。
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(この時を知っている現職場の関係者はすでに私のみです。)
当時はその月に退職される方から引き継ぎとしてほんとにゼロから沢山教えてもらいました。
私のなぎさ飼育員がスタートです。
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(当時クリオネの飼育記録最長の元飼育員の方に直々伝授中の写真です)

仕事はもちろん魚の飼育、知識は分からない。
道も知らない、土地勘もない、生き物を提供してくれる漁師さんも知らない。
自分でもよくやっていたな、と思います。
教えてくれた方はもっと大変だったと思います。
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(魚が砂に潜ることも知りませんでした)

4月には引き継ぎも終わりで退職される方もいなくなってしまうので完全に私自身でやっていかなければなりませんでした。なので残りの15日間、正確には休日があるので10日ほどで今までなぎさがオープンしてから20年ほど培ってきてくれた壮大な建屋と生き物の生き死にを引き継ぎつつ新たにやって行かなければなりませんでした。
さらに相手は生き物なので、忘れてた、とか間違えた、など自分のミスが誤って済むもんじゃないです。
毎日ドキドキビクビクしながら一日を終わらし次の日またみんなが元気か不安でドキドキしながら出勤してました。
生き物相手の仕事は楽しくもありますが、私の指1つで生死を決めてしまうので責任も重大です。
慣れは良い時もあるけど危険な時もあります。
私の場合は毎日が必死すぎてその日が終わる度に安心しました。

あれから10年以上が経ち、今でも朝出勤したときはみんなが生きているか不安で館内を見渡します。
それでも昔よりは生き物の状態の変化に気づけるようになってきました。
そして今では漁師さんも分かります。
水族館周辺なら土地勘もだいぶ成長しました。
知識は以前よりかは成長したけどまだまだかな。

これからあとどれくらいなぎさで働き今の仲間たちと共にいられるか分かりませんがここにいる限りは初心を忘れずみんなとの時間を大切にしたいと思います。


今は家族も増えて少し余裕ができました。
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最近水族館内のことをあまりかいてなかったのでまた書きます。

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3.11

3.11。
過去にも度々ブログにも書いてますが私たち飼育員にとっては忘れられない日です。

10年という数字だけの節目でなにがこれから変わるということもないのですが、あらためてこの10年が長かったのか、あっという間なのか考えました。
10年前、Uさんではなくなぎさに来る予定だった方が震災で亡くなったのは先輩が25歳の時でした。
先輩は私と同時に島に来て働いていた子が辞めて急遽新しくなぎさで働くことになってました。
陸前高田市で働いていましたが本当なら震災の10日後には島に来て島っ子になりなぎさ水族館の館長を目標に切磋琢磨する予定でした。
あれから10年。
当時は一歳下の私でしたが10年の月日が経って気付けばだいぶ年上になってしまいました。

歳を重ねる度に数字が増えてぎょっとしますが、新しい年を迎えることが出来なくなってしまった方を考えると申し訳なくも思います。
震災があって初めて年を取ることが貴重なことで明日があることに感謝してすごさなければならないと感じました。
と思いつつ何かしら言い訳して後回しにしちゃうんですが。

昨日は3.11のことを何か書こうと思いましたがなんと書いたらよいのか分からず1日が終わってしまいました。

でも14:46には黙祷をし(実は線香が巻いてある紙がうまくとれず1分くらい遅れました)花を添え(一昨年のブログを見たら同じような花を買っていてびっくりしました)広い海を眺めて再びいつも通りの仕事にとりかかりました。
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まさかこの静かな海が真っ黒い波になって陸に向かうなんて想像つきません。
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そして夜は夜間採集がありましたが、これまた静かな海で10年前起きたことが信じられませんでした。
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その後は岩手の地酒とこの前いただいたデビラ(ガンゾウビラメ)を一夜干しにしたもので献杯しました。
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ちなみに1人で始めていたらUさんがうちに現れて途中参加してきました。
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Facebookにも載せた写真はUさんが現れた後のものです。
なので少し食べかけなのとUさんの分のお酒とほんとは一緒に働くはずだった先輩の分3つあります。

そしてブログに写真を載せようと古いハードディスクを久しぶりに開いたらそのままつい思いでにふけってしまいました。
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プランクトンネットを使用したサンプリング調査や
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採集(大学時代)

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(現在)
やってることが今も同じでした。

3年間過ごした岩手県大船渡市三陸町の景色や人、全てが大好きでした。
ガス代は高くてビビったけど。
都会みたいにコンビニや飲み屋なんて沢山ないし、娯楽もない所でよくこんなところに大学があるな、なんて思ったけどそれでも夜夜光虫を見に海へ行ったり、友達の家で飲み会をしたり、スポーツで汗を流したり、地域ならではのワカメやホタテのアルバイトをしたり、本当に楽しんで暮らさせてもらった場所です。

なにより10年後もお付き合いしてくれる貴重なお友達にも出会えたし、今なぎさで働いているのも当時があったからです。
無力で何も出来ないけど私の中でこの日と震災前の町は忘れることはないと思います。

震災から10年がたち、見た目では復興した所もあると思いますがまだまだこれからだと思います。
明日があることを当たり前と思わず一日を大切にしたいです。


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